デジタル技術を目一杯使用し合ったスポーツを見てみたい
eスポーツ(エレクトロニック・スポーツ)が人気だ。
よい時代になったものだと思う。
日本では部活にeスポーツをという動きがあったり、それに反対する動きがあったりするようだ。
一方で、サイバースポーツやデジタルスポーツと呼ばれるような、スポーツとテクノロジーが掛け合わさった競技も生まれている。
この例では、新しいルールの競技になっているが、できれば既存のルールの枠組み内でいかにリアルタイムでIT技術を用いた戦いができるのかを見てみたい。
例えばバレーボールなんかでは監督やコーチが常に電子タブレットを持ってリアルタイムに指示を出している姿をテレビで見たことがある人も多いと思うけれど、それをもっとリアルタイムにダイレクトに選手が見ることができるようなイメージだ。
例えばゴーグルをつけると、トスがどこにあがる確率が高いかが瞬時に表示されたり、サーブをする際に狙うといいポイントが表示されたりする感じだ。
野球であれば、球種の予測をしたり、逆にバッターの弱点を分析したりする。
サッカーであれば、プレイヤー自身がゲームのように俯瞰の映像を見れたりしたら有利になるのではないだろうか。
もちろん、スポーツはある程度の制限とルールの中で競うから面白いし安全なのだろうけれども、とても速く走れるシューズを履いた選手同士のマラソンとかはちょっと観客にわからないので地味だけれど、
こんな感じで、観客も情報を共有することで楽しめる進化したスポーツを見てみたいと思った。
目を見てとまでは言わないが、体を向けて話をしよう
とても嫌いな人がいる。Aさんとしよう。
思い浮かべながらこうして書き物をするのすら嫌なくらいの人だ。
Aさんと同じ空間にいるのが嫌で環境も変えたくらいだったが、仕事の都合でたまたまそこへ訪れた。
私個人がAさんに用事がある訳ではないので直接対峙をした訳ではないが、私が用がある人(Bさん)とAさんが会話する必要があり、質問を投げかけたが1回目は無視。
聞こえていなかったか、Aさんに話かけたものとわからなかったのかと思い2回目は「Aさん」と最初に呼びかけてから質問をするも、まったく聞こえない小声で返答。
Bさんはかろうじて聞こえたらしく「こういうことですよね」と丁寧に聞くも曖昧な返事。
意味がわからない。
しかも終始こちらには背を向けPCモニターを見たままの対応だ。
忙しい訳でも、大事な作業中でも、圧倒的なコミュ障な訳でもない。
悪意のある対応だ。
このストレスを吐き出さずにはいられないのでここに記す。
SNS疲れというものに対する実感
もともとSNSで多数の人と繋がろうとするタイプではないが、所用で必要になったために新たなアカウントを取得して界隈の人達をフォローしてみたところ、処理しきれないほどの情報と自己顕示の塊のようなものが降り注いで来ていることに気が付いた。
どこの誰だか知らない人の喜びや成長を微笑ましく思うことが難しく、すべてが嫉妬や焦りに変わる。
これは俗に言うSNS疲れとは少し違いもう少しだけ広義のSNS疲れに属するものだと思う。
もともとメインアカウントのフォロワーや友達はリアルでの知り合いばかりだったので、その発信が嫉妬などに変わることは殆どなく、羨ましいという感情程度に収まっていたものが、知らない相手、いわゆる漠然とした世の中(=世のすべての人)がそのような成長をしていると感じられてしまい、自分一人が圧倒的に取り残されてしまっている感覚に陥る。
わかっている。
冷静に考えればそんなことはないというのはわかるが、暗い気持ちになることは避けられない。
仕事であればある程度割り切ってしまうこともできるが、日常的にこれらの情報に触れることに慣れてしまっている人にはかなりツラいだろう。
メディアなどでSNS疲れが取りあげられる度に「だったら止めればいいのに」と思ってはいるが、急に止めるというのも置いて行かれる恐怖があり不可能なのだろう。
何かの縁でこの記事を読んでいて、かつSNS疲れを感じているあなたにSNSを少し離れて利用することが出来るきっかけとなればと。
止めたいと思っているのならば止めればいい。
簡単なことではないけれど、簡単なことでもある。
あなたの世界はそれくらいでは何も変わらない。
とりあえず2週間。ヨーグルトのCMではないけれど、SNSをロックした生活を送ってみるといい。
もしそれがとても苦しいようであれば、フォロー数や友達を整理し、今の半分に減らしてみよう。
きっとモヤモヤが少し晴れるのを感じられるはずだ。